熊本県警察留置施設における被疑者ノート回収行為を契機として留置施設内における被疑者ノートの取扱いを改めることを求める理事長声明
2025年11月6日、熊本簡易裁判所裁判官は、熊本県熊本北合志警察署留置施設内における、被疑者ノートの取扱いが接見交通権及び黙秘権の侵害にあたることを理由とする、弁護人の勾留場所変更申立てについて、検察官の意見を聞いた上、職権で勾留場所を変更する決定を下した。
この事案は、当該被疑者の就寝時間前に、留置施設職員が被疑者ノートを回収し、居室外の保管庫に収納するというものである。当該被疑者が、弁護人との接見時に、「ノートを回収される。書き込んで本当に大丈夫なのか?」と相談したことにより明らかとなった。
また、上記事案発覚以降も、同じく熊本県警察の留置施設において、弁護人が、被疑者ノートを差し入れる際に警察官による回収を禁ずる旨表紙に付記し、被疑者本人も回収を拒否したものの回収が強行された事案や、佐賀県警察の留置施設において、被疑者が、夜間も被疑者ノートを自分で管理するか、購入した大学ノートや便箋等と同様に、夜間も状況を目視できる位置(居室外)にある“かご”の中に入れさせてほしいと要望したものの、これが拒絶されたという事案が報告された。
被疑者ノートは、身体拘束下にある被疑者が、弁護人との接見に備えて取調べの内容や疑問点、意見等を記載し、あるいは接見の内容を記載するためのものである。それと共に、弁護人との接見時における意思疎通を補完し、またはこれと一体となって弁護人の援助の内容となるものである。裁判例においても、被疑者ノートは、「被疑者と弁護人の接見交通権及び秘密交通権の保障の実質化である」と評される(横浜地裁令和5年3月3日判決)など、その重要性については論を俟たない。
すなわち、被疑者ノートの記載の秘密性が担保されることは、被疑者の防御権や弁護活動において、絶対条件であり、それに反する事態は、憲法34条の保障する接見交通権、とりわけ秘密交通権(福岡高等裁判所平成23年7月1日判決〔いわゆる第2次富永国賠〕参照)の侵害になりうるものであり、到底許されない。
前記事案が発覚した熊本県では、警察官の発言が黙秘権侵害及び接見交通権侵害にあたるとして国家賠償請求が認められた事案(熊本地裁令和3年3月3日判決、福岡高裁同年9月3日判決(控訴審))において、被疑者ノートの記載をもとに、取調中の警察官の発言内容が認定された経緯がある。また、佐賀県でも同様に、警察官の取調べが黙秘権侵害及び接見交通権侵害にあたるとされ国家賠償請求が認められた事案(福岡高裁令和7年12月17日判決)において、被疑者ノートの記載が取調べ状況を認定する重要な証拠として用いられた。
このことからすると、被疑者ノートは被疑者の防御権行使や、捜査機関による違法・不当な取調べの抑止及び解明において、極めて重要な意義を有している。それにもかかわらず、被疑者の目の届かない場所で捜査機関により被疑者ノートが管理された場合、被疑者は、取調べの主体である警察官にその記載内容を閲覧されることを強く危惧するのが通常である。その結果、被疑者が被疑者ノートへの記載そのものをためらうという萎縮効果が生じ、同ノートはその本来の役割を果たせなくなる。これは、被疑者の防御活動に看過しがたい重大な支障を及ぼすものである。すなわち、本件の問題の本質は、「実際に中身を見たか否か」にあるのではなく、「中身を見られるかもしれない」という懸念を被疑者に抱かせ、自由な記録を阻害すること自体にある。
したがって、以上の観点からも、今般の被疑者ノートの回収(管理)行為は、到底許容されるものではない。
これに対して熊本県警察は、前記のような被疑者ノートの取扱いについて、刑事収容施設及び被収容者の処遇に関する法律(以下、「刑事収容施設法」という。)195条1項及び同法施行規則8条を根拠とし、また、被留置者が被疑者ノートを飲み込む等して自殺や自傷行為に及ぶおそれがあるとする(なお、令和7年12月12日に開かれた熊本県議会教育警察常任委員会では、委員からの質問に対し、被疑者ノートについては、刑事収容施設法における「保管私物」に該当し、回収行為は同法に基づく保管方法の制限として許容されるものと考えている旨答弁した。)。
しかし、刑事収容施設法に基づく「保管私物」への制限は無制限に許されるものではなく、施設の規律及び秩序の維持のために真に必要と認められる場合に限られるべきである。その観点からすれば、紙媒体である被疑者ノートを所持させたからといって、それを利用した自殺や逃走のおそれが直ちに増大するとは考え難い。
近時、留置施設内における被疑者ノートの取扱いを巡っては、留置施設職員が持ち去り、合理的な理由なく15分以上にわたって被疑者の手元から離れた状態にされたことが違法とされた事案(札幌地裁令和6年12月3日判決)がある。この札幌地裁判決では、そもそも被留置者らは、紙(便箋等)を居室内に持ち込むことが認められている以上、綴りが解けそうになっている被疑者ノートをそのまま放置したことによって、仮に一部の頁が紛失するなどしたとしても、紙を利用した自殺や逃走のおそれが増大するものとは考え難いとされている。
以上から、本件における被疑者ノートの回収は、そもそも制限の必要性を欠く上、接見交通権秘密交通権を侵害しうるものであることや、刑事収容施設法上許容される保管私物への制限の限度をも逸脱したものであり、違法不当である。
また、前記の佐賀県警察における事例は、“かご”で管理したとしても、居室外なのであるから、そもそもノートを用いた自殺・自傷行為自体観念し得えず、大学ノートと被疑者ノートで取扱いを異ならせる合理的理由も全く見出せない。
当連合会管内においては、前記国家賠償請求事件のほかにも、いわゆる志布志事件等、警察官や検察官が被疑者と弁護人との秘密交通権を侵害する事件が発生した歴史がある。今般発覚した被疑者ノートの取扱いは、被疑者が恒常的に秘密交通権侵害の危機にさらされるものであり、到底看過できない。
刑事施設(拘置所)においては、被疑者ノートが職員に回収されることはなく、収容者が直接管理できるとされている。これに対して、代用刑事施設に過ぎない警察の留置施設において、被疑者の権利利益の保護が後退することはあってはならず、秘密交通権の侵害が疑われる状況が変わらないのであれば、代用刑事施設を勾留場所とする身体拘束自体許容すべきではない。
そもそも、刑事手続の基本原理として、「推定無罪の原則」があることから、未決拘禁者に対する処遇や制限は、拘禁の目的を達するために必要最小限度のものでなければならず、可能な限り、一般市民としての生活や権利が保障されなければならない。このような観点に立てば、防御活動に不可欠な被疑者ノートの自主管理が認められるのは当然であり、これを制限するには、極めて高度な必要性が要求される。しかし、前述のとおり、被疑者ノートの回収行為を正当化し得るような具体的必要性は皆無である。
以上から、当連合会は、熊本県警察のみならず、被疑者ノートについて秘密交通権の侵害が疑われるような態様で管理・保管が行なわれている留置施設においては、それを即時中止し、疑念が生じない態様にて管理や保管がなされるよう、直ちに運用を改めることを求める。
2026年(令和8年)2月17日
九州弁護士会連合会
理事長 近藤 日出夫





